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ショパン ☆ワルツ☆Chopin Valses



1830年11月、前年のウィーンでの成功で自信を得たショパンは、再度この音楽の都を訪れた。


しかし社交的には歓迎を受けたものの、音楽的には彼の優美ではあるが音量が弱くて地味な演奏は、華麗な演奏を好むウィーン市民には受け入れられなかった。



また作曲の方でも、前年に出版した「ラ・チ・ダレム変奏曲」(作品2)



の売れ行きが思わしくなく、新しい曲の出版を断られるなど、思う通りの成功は得られなかった。



というのも、当時のウィーンでは、ヨハン・シュトラウス1世やヨーゼフ・ランナーの音楽が流行しウィンナ・ワルツやオペラの接続曲といった軽い曲目が好まれていたからである。



ショパンは師のエルスナーに



「ここではワルツだけが音楽なのです。」と書き



両親へも「ウィーン人の好みの堕落」を嘆くのであった。



とはいえ彼自身もこの舞踏好きのウィーン人の好みに合うようなワルツの作曲を試みているが、結果的には踊るためというよりは、より芸術的な聴くためのピアノ音楽となった。



すなわち、テンポのゆっくりとした叙情的な曲に彼の真骨頂が現れているのである。




ショパンは1825年から死の前年1848年にかけて、ワルツを約30曲作曲したといわれるが、そのうち数曲は手紙などで存在が知られるのみで、自筆原稿は残っていない。



現在出版されているのは18曲で、そのうち生前に出版されたのは僅かに8曲だけである。



どの曲も技術的にやさしく、転調や和音の粋を凝らすというよりは、旋律の躍動感や優美な叙情性によって、ショパンの全作品中でも最も一般的に愛好されるものとなっている。


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